F_Master(えふますたー)の軽〜いおせっかい


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松尾光徳














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10年07月のデータです。


 2010/7/27 12:50 <久々の十分な睡眠>

 

 ようやく仕事が一段落して、昨晩から今朝にかけて久しぶりに十分な睡眠をとるチャンスを得ました。ここで寝なければまたいつこんな時間がめぐってくるかわからない!…ということで、今日は久しぶりに8時間ほど睡眠をとりました。

 

 体調も少し回復したところで、手始めに会社用に購入した(我が家にあるんですが)最新パソコンの自分用へのセッティングをしています。Windowsのデフォルトだと使いづらいので、YAMYを使ってキー配列を換えている最中です。

 

 もともとはXkeymacsを使用してたんですが、Windows7に乗り換えるにあたってちょっと使うソフトウェアを代えてみるかと思ってみた次第なんですが、YAMYはかなり細かいところまで変更できて、自分流にアレンジできるのでとてもありがたいソフトウェアでした。

 

 まぁこの下準備がちゃんとできてないとプログラミングなんてやる気には全くならないので、必要に迫られてやっているだけなんですけど…。

 

 さぁ、そろそろ第2の仕事場へ…。


 2010/7/6 12:30 <久しぶりに早朝出勤…>

 一昨日からほとんど寝てない状態で(過密スケジュールのため…)、今日は朝6:30の電車に乗って仕事場へ向かう途中、駅のホームに小学1年生と思しき女の子が一人で電車を待っていました。

 

 きっと、ちょっと遠めの私立に通っているんでしょうが…小学生がこんなに朝早く一人で電車を使って登校しているとは、ちょっと衝撃でした。そこでよくあたりを見回すと、それらしい子供達がたくさんいるじゃないですか。

 

 私は長崎の大瀬戸という山と海が隣接した町で小学生時代を過ごしたんですが、学校までは確かに遠かったものの、それでも普通に8時くらいに慌てて走って行っていた記憶があります。帰って来ては、外に遊びに行って、山に入っていったり海で釣りをしに行ったり。

 

 別に勉強をしてなかったわけではないですが、小さい頃って、そういう遊びが色んなことを自分達で発見して、どうしてそうなるかを考えて、それが勉強したことと結びつくと「へぇ〜っ!なるほど!」と思っていた気がします。

 

 子供の育て方は一様ではなく、どれが正しいとか間違いとかは無いとは思いますが、幼児教育は別として、小さい頃の詰め込み教育はあまり良くない気がします。今の高校生を見ても、覚えることを理解することと勘違いしています。それは小さい頃から覚えることが点数につながって、それが褒められる、そして上の学校に行ける手段だったからなんでしょう。

 

 しかし「覚えること」と「理解」が同値なのは、発達段階の極初期の段階のことであって、中学生以降はやはりその「覚えたこと」がどうしてそう「定義されたのか」、そしてその「定義されたもの」を使って「どのように応用されているのか」という科学が発達した段階を「正しく追う」必要があると思います。「論理的に考えるプロセスを追うこと」こそが「理解している」こととなるわけです。

 

 よく、「覚えること」と「理解すること」とはどう違うのかという問いを投げかけられることがあります。もちろん単純にこうだということは中々難しいですが、それでも上のように「有機的につながった記憶」「論理を追える記憶」そして「未知なるものを推察できる記憶」というものが「理解」したものだと言えると思います。一見記憶という「過去のもの」を使って「まだ見ぬ未来のものを捉える」ことは矛盾してそうですが、これこそが理解の醍醐味だと思います。こうして人類史は発達したわけですから。

 

 「過去の記憶の単なる蓄積」ではなく、「論理的に結びついた未来への記憶」はその人が歩んできた道における「記憶」と結びついて、他人が絶対に発見できなかったものを見つけられるようになります。

 

 自分の目線に自分が映らないように、他者の経験と自分の経験は明らかに違うものです。その自分だけの「有機的に蓄積された記憶」が、「新しい知識」と結びつくときが発見のときなんです。

 

 そう考えると、子供達には小さい頃から色んな経験を積ませてあげたいものですね。