F_Master(えふますたー)の軽〜いおせっかい


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松尾光徳














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10年10月のデータです。


 2010/10/31 16:50 <久しぶりに時間があったので…>

 

 久しぶりに時間があったので、このトップページに長らく放置されまくっていた過去のデータを整理してみたところ…左のリンクメニューが恐ろしい数になりました。

 

 なんと08年03月以降ずっとこのページに書きまくっていたという恐ろしい放置状況…

 

 おかげでただ整理するだけに1時間かかりました。こうなると日々の積み重ねの大事さがよくわかります。まぁ過去ログなんて自分の備忘録程度にしか活用できないわけですが、それでも毎年そして毎月の自分の「疲れた〜」のコメントを見るたびにもう少しよいコメントを残そうと思う今日この頃です。

 

 もうこのページを書き始めて3年以上になるんですね〜。最初はHTMLの書き方から学んで面倒だなぁと思っていたことを懐かしく思い出しました。あと思い出したことと言えば…Webに自分の考えを載せることのためらいでしょうか…。

 

 とくに学習系は私よりも賢い人がごまんといるこのWeb上に公開するためらいは半端なものではありませんでしたが、下にも書きました良くも悪くも『相手に期待しない』の精神で「えいっ!」っと書いてしまったときの一種の『諦観』…。

 

 未だにここにものを書くときは悩みます。

 

  

 2010/10/31 15:50 <生きざま…>

 

 私が仕事をし始めてから(正確にはもう少し前からでしょうが…)常に心がけていることは、『他人に期待しない』ということなんです。まぁいきなり何を言っているのか…とお思いでしょうが…。

 

 仕事仲間にしても取引相手にしてもまぁ何にしても、自分の行動に対する反応を相手に期待するとときに大きく予想から(悪い方向へ)ずれた形で返ってくることが多々あるんです。それはもちろん私だけではなく、きっとすべての人が経験していることではないでしょうか。

 

 「これだけ自分がしたんだから、相手はきっと喜んでくれるはずだ。」または「相手はきっと動いてくれるだろう」という感じで思うことってありますよね。自分のために、自分が生活するために、自分が欲しいものを手に入れるために。そう思って仕事をすることもあるでしょうが、きっと多くの人の仕事に対する原動力は「ほかの人が喜んでくれる姿を見たいから」というものが大きくはないでしょうか。

 

 それは、この非常にたくさんいる人の中で自分の存在意義が「他人からの要求、需要」によって確信しやすいことにも原因があるのでしょう。かく言う私も、私が得て、保持し、噛み砕いて理解した内容をこうして解放することで少しでも喜んでくれる人がいるのであれば…と、自分が存在した証を少しでも残そうとしているんです。そのために仕事が終わってから夜中の3時4時までHPを作ったりしてました。最近はちょっとプログラミングをやってるので怠っていますが…

 

 しかしそうやって『他人の喜びのために』と思って仕事をしてしまうと、知らず知らずのうちに他人に

『喜ぶこと』を要求してしまっているんですよね。そうすると意に反して『喜ぶどころか怒る』表現で返された場合、やる気を失うことになります。

 

 そこで、学んだ処世術、冒頭にもあったように『他人には期待しない』になるわけです。『自分の行動』で『相手に喜んでもらう』。これは見方によっては結局『自己中心的な行動』に見えなくもないわけです。相手が喜んでくれるかどうかは相手次第なんですから。それを『相手が喜んでくれるはずだ』は自分の解釈の中だけで成立しているものなんですよね。

 

 自分発信なものはすべて『自己中心的な解釈』によるものだと理解しさえすれば、その行動によって『他人がどう思うのか』は『他人任せ』であって、その自分の行動に対する期待は良かれ悪しかれ『他人には期待しない』ことによって、良かった場合は喜べばいいし、悪かった場合は反省すればよいわけです。

 

 独善的なんでしょうかね。自分だけが正しいなんて言う気は更々ないわけですが、『他人に理解を求めない』点でやはり独善的に映ることもまた理解しています。人の中で生きることは難しいですよね(^^)

 

 まぁしかし、しばらくはこの『独善』を貫いてみようかなぁと思っています。気難しい私に何かご意見を頂けるようでしたら、ゲストブックにでも書きこんだり、またはこのページの一番下にあるアドレスにでもメールをいただけたりすると幸いです。メールは迷惑フィルタにかかって消去される可能性がありますが…。

 


 2010/10/29 2:40 <記憶障害…>

 先週の水曜日、朝目覚めたら…何もない世界にいました…。

 

 何かを考えようにも言葉が浮かばない…。目の前にある目覚まし時計もそれが「何」であるのかを全く認識ができない。

 

 正確にはどれくらい経ったのかはわかりませんが、しばらく呆けていたあと、少しずつ言語が戻ってきて、自分が誰であるのか、どうしてここにいるのかが分かった瞬間、体中から冷や汗が吹き出ました…。「記憶がない…」

 

実はこのとき曜日等の概念すらはっきりと認識できない状況でした…

 

 自分が一所懸命経験して積み上げてきたものが一気に崩れ落ちた感があって、正直絶望しました。携帯を開き必死で昨日あったことを思い出そうといろいろと調べ、少しずつ思い出してきた頃、その日そういえば何かやらなくてはならないことがあったことをぼんやり思い出しました。

 

 「今日は…何をやらなくてはならなかったっけ…」。完全に仕事のことも忘れてしまっていて、頭を抱えて悩んだあと、しばらくして今日やらなくてはならない仕事を思い出したんです。時間はもうすでに出なくてはならない時間を15分もオーバーしていました…。

 

 全部は思い出せないけど、この状態だったらきっと少しずつ思い出せる!なんていう小さな希望を抱きつつ、駅まで全速力でダッシュ!

 

 ちょうど各停の電車が発車したところだったんですが、次の電車は…うちの駅を素通りする急行…。でも隣駅には停まるから、隣駅までダッシュすればその急行に間に合うかも…。(隣駅まで400メートル程度で、まぁ見えているんです。このときいた駅から。)

 

 そう思っている間に身体が勝手に走っていました。この表現のまま、本当に勝手に走っていたんです。冷静に頭の方では「いや…正直間に合うはずないから止まろう。」と思っているんですが、身体が言うことをきかない…。「今日は朝からわけがわからない…」なんて思いながら、まぁ当然隣駅に走っている最中に急行に追い抜かれたわけです。(当然そうなることは…誰が考えても明らかなんですが…)

 

 このとき「どうせ間に合わないけど、隣駅に今急行の待ち合わせで停まっている電車に乗れればいいか」とか思っていたんですが、まぁその電車にも間に合わず、放っておいても乗れた次の各停の電車に乗るはめになりました…。

 

 この日、この後で少しずつ前々日にあったことや、それ以前のことは当たり前に思い出せるレベルまでは記憶が戻ってきたんですが、残念なことに前日にあったことは、ほとんど思い出すことができませんでした(それは現在も同じです)。

 

 LEVEL32になって、2日連続徹夜なんてことをしているから、こんなことになったのかも知れませんが(記憶障害の前日が2日目の徹夜明け…)、自分の記憶が飛ぶことがこれほどまでに恐ろしいとは、体験するまで想像することはできませんでした。記憶が飛んだ日の夜、寝るのがどれほど怖かったか…。

 

 一週間経って、少し冷静に考えられる状況になったので、まぁ忘れないためにここに書いてみます。

 

 今後このようなことがないことを願って。